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大正12(1923)年9月1日の関東大地震と翌年1月の余震によって水田に出現したこの遺跡は、大正15(1926)年に国史跡に指定されました。現在10本の橋杭が発見されています。

この橋脚は、源頼朝の重臣、稲毛重成が妻の供養のために立てた橋のものではないか、と考えられています。頼朝はこの橋の竣工式に出席した帰り、平家の亡霊に驚いた馬が暴れ出して川へ落ちてしまい、それから相模川の下流部分を馬入川と呼ぶようになったそうです。また頼朝はこの時の落馬の傷がもとで死亡したという説もあります。

中世の橋遺跡は現存するものが全国でも少なく、歴史的価値が高い貴重な遺跡です。
また関東大震災の記録を物語る記念物としても貴重なものです。
 
   
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      2007年2月 撮影  
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左は出現当時[大正13(1924)年頃]の写真です。生々しさがあります。

右は橋杭の並びです。
昔は川が東西方向に流れてたそうです。
当時の様子がうかがえます。
 
   
橋杭(はしぐい)は全て檜(ヒノキ)で一本ずつ円柱に加工してあります。

上部はほぞ穴状(写真右上参照)に加工されているものも確認でき、梁などが組まれていたことがうかがえます。

地中の先端は釘みたいに尖らせてあります。
(写真右下参照)
 
   

今現在は写真の通り残念ながら本物の橋脚を見ることは出来ませんが、(2007年02月作成)
今後模型(レプリカ)を作成し、景観を復元するようなので、橋脚がどんなものだったのか是非見に来てください。

 
   
   
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            2005年1月撮影  

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現在、出現から80年あまりたち、部分的に腐敗が進んできているため、保存整備を行っています。

←写真右をクリックすると「保存整備事業について」の案内板の拡大写真が表示されます。